vol.1 vol.2 vol.3 vol.4 vol.5 vol.6 vol.7 vol.8 vol.9 vol.10 vol.11 vol.12
転身を叶えた人の転身ストーリー
今月のストーリー
vol.1 クルマの営業から介護福祉士へ 赤羽敏宏さん(33歳)
「何が向いているか」など何も考えず就いたのが整備士でした。
 とりあえず取った資格を生かしてみてどうなのか、という位の気持ちで就いたのが自動車整備士。実際に働いてみると機械を相手に黙々と作業をする事に楽しみを見出せなかった。人とほとんど話さないのが何よりつらかった。「楽しめない・・」と思って働いていました。

 次に人を相手に反応が得られ、かつ自動車業界での経験を生かせる仕事がしよう。そして、以前から自然豊かなところで働きたいという気持ちがあったので、Iターンで長野県にある自動車ディーラーへ営業職として転職した。

 人を相手に仕事できる、という面では、整備士より性に合っていて、営業成績もなかなかよかったんですよ。でも、営業ってどこか“駆け引き”みたいな部分があって、どうも自分にしっくりこない。クルマを買って喜んでくださるお客さまの姿を見ていると心底嬉しいんだけれど、同時に何となく虚しさも感じてしまう。挙句の果て、とうとう会社にも行きたくないという気持ちでいっぱいになってしまった。好きじゃない仕事って、いくら成果が挙がっても楽しくないんですよね。1年経ったころから、次なる転職を考えるようになりました。
「自分が嫌いなこと」を消去する選択ではなく「好きなことは何か」を真剣に探したかった。
 このとき「人生の軌道修正はこれが最後」と言い聞かせて、本当に自分がやりたい仕事を見つけようと、自問自答し続けました。これ以上、転職を繰り返せないと思ってましたので。

 で、ちょっと発想を転換したんです。それまで「自分が嫌いなことは何か」を考え、それらを消去して、「できそうな仕事」「やれそうな仕事」を選んでいた。でも、今回は「自分は何が好きなのか」という視点を大事にしたんです。整備士のとき、まわりの同僚がうらやましかった。彼らは機械と格闘することが好きで、素早く仕事をこなし、遊ぶことにも一生懸命。彼らが輝いていたのは、整備の仕事が合っていたからなんですよね。だから、自分自身が輝ける職に就きたいと思ったんです。

 そんな中、ふと浮かんだのは「福祉」でした。
 高校時代、学校が祖母の家の近くで、3年間、そこに居候させてもらっていたんです。そこで聴く祖母からの戦争時代の話は、すごいカルチャーショックでした。ものに不自由なく育った自分とは別世界。考えさせられたり、時には気持ちが癒された。そのときの感覚が自然によみがえり、そうだ、人生の先輩たちと過ごせる仕事がしたい。そう思って辿り着いたのが介護福祉士でした。これだ!と思い、すぐに養成学校を調べて受験し、合格と同時にディーラーを退職させてもらいました。
この仕事に就いてから、流されなくなった。自分で努力する楽しさを知った。
 現在は長野市社会福祉協議会が運営する施設の一つ、三陽デイサービスセンターで介護員兼生活相談員として働いています。利用者の方々に対し日々介助させてもらったり、話をさせてもらったりするのが自分自身、とても楽しい。何より「あなたがいると楽しいね」と言われるのがうれしくてたまらない。力が湧きますね。利害関係ではなく、無償の気持ちで人と人とが接する瞬間、やはり自分には合っていたんだと改めて感じます。

 この仕事に就くようになってから、人やまわりの事情に流されなくなった気がします。自分で考え、努力することが楽しいと心底思える。これからも施設を利用される方々の気持ちを大切に、その人たちが前向きになっていただける介護を実践していきたいと思います。

 不思議なんですが、ずっと肌身離さず持っているものがあるんです。小学校の校長先生に卒業時頂いた小さな色紙「己ヘノ挑戦」。最近まで何も感じなかったのですが、振り返ってみると、「自分に対して挑戦する事の大切さ」を教えるためにそばにあってくれたのだと。

 介護にも「自己覚知」という言葉があります。己に挑戦するためにはまず己を知ること。これからどうしたいのか? 好きなことを見つけるためにはまず自分を知ることが大切だと思う。、営業職から介護の学校へ入るまでの間、徹底的に悩み、これでもかというくらい自問自答を続けたことが結果的に自分を知ることになり、天職へとつながったんだと思います。
PROFILE
赤羽敏宏さん
1973年生まれ。埼玉県出身。
■1993年 20歳
自動車メーカーへ整備士として入社
整備士の学校で国家二級自動車整備士資格を取得し、埼玉県内にある自動車メーカーの工場へ就職。自動車整備の仕事に携わる
■1995年 22歳
自動車のディーラーへ転職
機械ではなく、人と接する仕事のほうが自分に向いているのではないかと思い、長野県内にあるディーラーへIターン転職。長野県を選んだのは出身地、埼玉から近くて緑豊かな自然に囲まれたところで暮らしたかったため
■1997年 24歳
退職して介護福祉士養成の専門学校へ
自動車関係は自分の働く場所ではないと考え、介護の道へ進む。専門学校へ入り、資格を取得することに
■1999年 26歳
長野県鬼無村社会福祉協議会へ就職
地域密着の社会福祉法人で働きたいという願いを実現すべく、長野県鬼無村社会福祉協議会へ就職。デイサービス、ショートステイを利用する高齢者の方々へのサービス提供につとめる
■2005年 32歳
長野市社会福祉協議会の職員に
長野市と鬼無村が合併したため、所属も社会福祉法人長野市社会福祉協議会となる。仕事をしながら社会福祉士やケアマネージャーの資格取得。現在は、長野市内にある三陽デイサービスセンターで、生活相談員兼介護員として活躍。また、高い志で働ける職場環境づくりを目指し、長野県下の介護福祉士たちに声をかけ、ヤングパワー研究会を結成。同業者のネットワークづくりにも力を入れている
家族:妻と子ども(3歳)
赤羽敏宏さんのお仕事
三陽デイサービスセンターでは、施設利用者である高齢者の方々に入浴介助や集団レクリエーションなどのサービスを提供
  生活相談員として介護保険などに関する相談などにも対応。そのため、事務処理に追われデスクワークが続くときもある   車いす介助や食事介助なども日常業務の一つ   利用者様とは常に人として対等な立場でありたい。人生の先輩として尊敬しているからこそ、言葉がけも心をこめて行う  
   
赤羽敏宏さんからひとこと
いろんな人の転身ストーリーを見る
介護福祉士になるには