以前勤めていた航空会社の地上職は、長年の夢がかなって就いた仕事。やりがいもあり、志の高い素晴らしい仲間にも囲まれて、充実した時間を過ごしていました。それでも「何か新しいことに挑戦したい」と感じ出したのは、仕事の全体像を把握し、新人教育まで任され始めたころから。約6年間勤めて、仕事上の目標をほぼ達成しつつあったことが、変化を求めた理由だったかもしれません。また、統一された美を大切にする航空業界とは違った世界で、もっと自分の能力を活かして美しさを生み出す仕事をしてみたい、という気持ちも芽生えつつありました。
そんなとき、仕事中につけていたリングをお客様がほめてくださったことが、今の仕事を目指す大きなきっかけに。自分のセンスが認められたのも嬉しかったのですが、「ほめられたり、羨ましがられたりすることは、女性にとって大きな喜びなのだ」と改めて気づいたのです。「私はそんな喜びを人に届けたい。女性が誇らしく思えるようなジュエリーに、私自身が関われたら素晴らしい」とはっきり意識したできごとでした。
目標が決まってからは早かったですよ。国から補助が出る学校を見つけて、すぐに退職を申し出ました。当時の上司のアドバイスもあり、同じ航空会社の系列派遣会社に登録。2ヵ月後にはもう東京で働いていました。30歳目前にして初めて郷里を離れたわけですが、学生時代からの親友がいつも近くにいて助けてくれたこと、両親も「東京を見ておくことはきっとプラスになる」と賛成してくれたことなど、周りの協力もあってほとんど不安は感じませんでした。そして、一番の勇気をくれたのはやはり前の職場での6年間。多くの人と接するなかで試練も経験し、複雑なシステムや変化の早い時代に対応するべく一生懸命勉強もしたことが、「どんな仕事でもやっていける!」という自信につながったのです。
それからしばらくは、昼間は人間ドックの受付、夜は専門学校という生活。夜間コースの仲間は働きながら学んでいる人ばかりで、みんな真剣そのものでした。こうして同じ目標を持つ仲間ができたことも、つい自分に甘くなってしまいそうなとき、目標を再確認して頑張り続ける支えになりました。
ジュエリーの仕事を始めた当初は病院の仕事も続けていましたが、注文が増えたのは不思議なことに、病院を辞めて制作に専念し始めてから。もちろん、最初から仕事が増えると見込んで独立するということは通常考えにくいことかもしれませんが、独立して仕事が増えるのにはちゃんと理由がある気がします。たとえば私の場合、病院の仕事を続けている間は、自分の職業を「ジュエリーデザイナー」とはいえませんでした。それが、独立してからは胸を張ってジュエリーデザイナーを名乗れるように。そういう意識の違いがお客様への信頼感につながり、認めてもらえるようになったと思うのです。
独立したことで、時間の使い方は自由になり、美術館などに足を運んでセンスを磨く機会も増えたのは嬉しい限りです。ネットで受注する今のスタイルなら、たとえば結婚して東京を離れるようなことになっても続けられるはず。そのときのためにも、今のうちに作品がもっと多くの人に愛されるよう努力していきたいと思っています。















